私は高校生に大学受験のための受験英語なるものを長い年月教えてきた。
「本来の英語とはかけ離れたパズル」
だ。
だが、最近東京の私立大学の受験英語は、
「英会話ができないと回答できないような問題が多くなってきている」
日本全土の高校生にとって、東京の私立大学は、
「夢のまた夢」
の世界なのだ。
「教育の機会均等」
の精神からはおよそかけ離れてきている、今の日本は。
「小学校で英語教育が開始されるとこの格差はなくなるだろうか」
私はそうは思わない。
「英語を母国語とする教師が小学生を教えない限り、日本の小学校の英語教育は失敗する」
私はこう思っている。
"HOT,HAT,STRIKE,BALL."
これらの簡単な単語を果たして何パーセントの小学校の先生が正しく発音できるだろうか。
「100パーセント近くの先生ができない」
これは動かし難い事実である。
"I love you."
日本でも有名なこの言葉、どれくらいの先生が正しく発音できるだろう。
「やっぱり100パーセント近くだめである」
調査しなくてもこれは分かっている。
"love"
この言葉日本人には相当に発音しにくい言葉なのだ。
結論として、
「もし日本人の先生が日本風の英語の発音で英語を教えたなら、教育の現場は大混乱に陥るだろう」
私の偽らざる意見である。
現在の日本には、
「朝インターネットでニューヨークタイムズやワシントンポストを見て通学してくる小学生が数多くいるのを私は知っている」
この小学生達は、
「まともに英語を喋れない教師の英語の授業を聞いてどう思うだろうか」
心の底でこう思うだろう。
"Stupid."
一度混乱した現場を収集するのは半端な事ではない。
「小学校での英語教育を始める前に徹底したガイドラインを作成していただきたい」
なるべく英語を母国語とする教師がリーダーシップを取って教えるスタイルではじめていただきたい。
これは私だけの意見ではなく多くの日本人の意見でもあるのだ。
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